お金が必要なのは【人間関係に距離を作ってくれるから】である論

今回の記事では「お金と人間関係」をテーマに書いてみたいと思います。

人間関係の距離の3分類:愛情関係、友情関係、貨幣関係

これは別に僕が定義した話なのではないですが、何かの本で書いていてなるほどなと感じた人間関係の分類法があります。

それが以下の分類です。

  • 愛情(友情)関係:愛情(友情)空間で行われるコミュニケーションで恋人や家族、友達との関係
  • 貨幣関係:貨幣空間で行われるコミュニケーションで仕事や他人との関係

よくある人間関係の分類の距離って、愛情 ← 友情 ← 他人 ですが、ここでは他人ではなく貨幣関係と定義してるのが面白いですね。

これがどういう意図なのか、順番に見ていくと、まず、人間関係において、人間味があるプライベートの関係は愛情関係もしくは友情関係と定義されるのは分かると思います。

愛情や友情は基本的にはお金に換算できない関係ですからプライスレスだと言えますよね。

そのため、この関係では「お金=汚いもの」になります。

だから、お金を抜きにした関係を作ることが大事で、その暗黙のルールが崩れることで人間関係にひびが入ったりするのです。

一方で貨幣関係の人間関係というのは、ほとんどが仕事や買い物などにおける人間関係であり、お金を通じたやり取りが基本になってきます。

この関係においては買い物だったり仕事上のやり取りなので「お金=大事なもの」です。

ここまで踏まえると「愛情・友情関係」と「貨幣関係」の人間関係は「お金を軸」にして考えると真逆になります。

愛情や友情にお金を持ち込むのはNGだけど、貨幣関係はお金がないとダメだということ。

そして、ここがごちゃまぜになることで人間関係にトラブルが発生するといえるのです。

例えば、愛情関係を例にすると。

今、大切な人に渡す誕生日プレゼントを考えているとします。

この時に現金を渡すと相手は嫌な顔をするのは容易に想像できますよね。

もしかしたら3万円分のプレゼントだったら大喜びするかもしれないのに、5万円の現金をそのまま渡すと「最低」と思われるかもしれません。

敏感な女性の場合、「お金で私を買おうとしているの?」と売春のような捉え方をする可能性すらあるでしょう。

ネットワークビジネスが嫌われるのもここが理由です。

ビジネス(お金稼ぎ)を「愛情空間や友情空間に持ち込む」ことにより信頼が崩れるからです。

このように、愛情や友情というのはお金から切り離されていることが一般に大事だということです。

一方で貨幣関係だとこれが真逆になります。

例えば、自分が3万円の値段の家電を買いたいとして、どこかの個人商店の家電屋に行くとします。

その時、たとえ相手が融通が利く個人商店であっても「3万円分あなたに食料をプレゼントをするのでこの家電をください」と言っても基本的に断られるはずです。

「は?現金で支払え」と言われるのが関の山でしょう。

これは逆の立場で考えると分かりやすいです。

自分がどこかで3万円分の仕事をしたとして、「3万円の現金」が貰えずに「3万円分の食料」が「うちで取れた野菜美味しいからプレゼントするよ」とか言われてもらっても困りますよね。

(もしそこの働き口が恋人や仲が良い友人だったら3万円分の寿司をごちそうしてくれると嬉しい、になるのでしょうが)

つまり、友情関係の外側だとプレゼントや物品なんかはどうでもよくて、現金そのものが大事になるということです。

これは、ビジネス上の人付き合いでも同じことが言えます。

つまり、自分が何かしらの仕事の肩書きで取引をするために人と会うとなると前提としては「貨幣関係」として付き合うべきであり、そのために経済的なメリットをお互い考えて動くのが前提の出会いになるということです。

そして、これは別の言い方をすると、現金がフィルターになって人間関係が「愛情空間」と「貨幣空間」に分かれているともいえるんですね。

貨幣関係があるから不必要な人間関係を作らなくても良いメリットがある

ここまでの話を見ると「貨幣空間はドライだから愛情空間や友情空間を広げることが大事」と思うかもしれません。

でも、実際には1人の人間が作れる人間関係なんてたかが知れています。

愛情関係なんて家族や恋人のみですから多くても10人未満でしょうし、友情関係も何百人もそんな関係になるのは無理です。

その中で、実際は貨幣関係があることで「人間関係を広げなくても良いメリット」があります。

例えば、コンビニで買い物をする時に店員さんと友達じゃないと買い物ができないとなると超不便ですよね。

でも、実際には今の世の中コンビニの店員と何の人間関係がなくてもスムーズに買い物ができます。

その理由が、貨幣空間が存在することにより、お金を通じてコンビニの店員と友達じゃなくてやり取りできるからだと言えます。

このように「お金が存在することで不要な人間関係を敢えて作らなくても良くなる」わけです。

自分の持ち時間は1日に24時間しかなくて、その中で恋人や家族と過ごせる時間、友達と過ごせる時間には上限があります。

そんな制限がある中、不必要に友情関係を広げると全員と濃い時間は過ごせなないし、しがらみも増えて大変なんですよね。

極端な話、今の時代であれば貨幣関係があることでお金さえあれば交友関係は狭くても問題にならず、ごく少数の人とだけ深い関係をして生きていくのも一つの選択肢だと思います。

それと逆なのがお金がなかった大昔の物々交換の時代ですね。

お金がないということは、物々交換する必要があり、そのためには「交換してくれる人間関係」がモノを言うことになります。

だから嫌でも誰かとかかわる必要があるわけです。

その中でもし、近所の人に嫌われて「あなたとはやり取りしない」と仲間外れにされると死活問題でしょう。

このような関係においては、しがらみも多くて自由度は低くストレスもあったはずです。

その点、今の時代はお金が普及して貨幣関係が広がっているので人間関係を作らなくてもお金さえあれば食料などが調達できます。

これは冷静に考えるとメリットなわけです。

お金がどれくらい必要かは人間関係のスタンスで決まる

このように見るとお金は人間関係の在り方とも大きくかかわっていることが分かります。

つまり、どういうスタンスで人間関係を築くのかがお金の必要度合いに関わってくるということですね。

例えば、僕の場合は「自由」が重要な価値観のうちの一つになっています。

そうなると、1日24時間しかない中で人付き合いも無理に増やさないほうが当然自由度は高くなります。

さすがに愛情なし・友情なしは嫌ですがしょっちゅう集まって大人数でパーティーするような友達が欲しいかというと別にいらないです。

結果、必要以上に友情関係を増やすよりある程度深い友達とだけ絡めばいいやって感覚になります。

余談ですが、今でも仲いい大学時代の友達から何年か前に勝手に4人で住むルームシェアの1人に加えられていたことがあったのですが拒否したことがあります。

自由スタンスだと深い友達とも一緒に住むのは嫌で多少の距離感が欲しいということです。

このスタンスだと、金銭的に困った時にも友達に助けてもらおうと期待はしないし、なるべく友達に借りは作らず自分のことは自分で片づけたいわけです。

だからより現金的な意味でのお金に頼らざるを得ないと言えて、それなりに稼ぐ必要があるわけですね。

一方で「コミュニティが大事」派の人も中にはいます。

この場合、場を作ってそこに人を集めてより密な人間関係を築こうとしますし、人によっては幅広く深い友情を作るかもしれません。

そんな中でもし、共同生活をしているくらい近い距離の友達がたくさんいるなら。

極端な話自分がお金を稼がなくても自分が家事をやったり何か手伝うだけで生きていけるかもしれません。

いうなれば、コミュニティ的な密な人間関係を作るなら物々交換ですら機能する可能性があるということです。

その分、「付き合い」が大事になるでしょうし普段の自由度は下がるでしょうが、いざという時に助けられやすいスタイルだと言えるでしょう。

このように、スタンスによってもお金が必要なのかどうかは変わってくる、ということです。

愛情空間が広いとそれだけ自由度は下がるけど、仮にお金がなくても何かしらの形でお金が得られるわけですね。

別の例で考えると、もし子供がたくさんいて実家も大家族・親戚もたくさんいるなら。

多分、面倒な行事がたくさんあって自分の自由な時間は減るはずですが、老後に多少お金なくても誰かが何とかしてくれるから何とかなるでしょ?という話です。

それは愛情空間が広いからです。

一方で、子供とか作らず一人の時間を楽しむ人生を選ぶなら。

めちゃ自由ですが愛情空間が狭いのでその分お金は稼がないとね、ということです。

そして、これはどっちが良いとかではなく自由を上位に置く価値観はリバタリアンと言われるし、コミュニティを上位に置く人はコミュニタリアンという立場になるという違いです。

ネット(メルマガ)で作るコミュニティが崩壊する理由

ここまでを踏まえて、最近のネットビジネスのオンラインサロンやらコミュニティを考察してみましょう。

基本的にネットビジネスをやっている人の多くは「仲間を作るため」という大義名分で何かしらのコミュニティを募集します。

その募集している当の本人が「本当に仲間を求めているのか」それとも「大義名分でそう言っているだけなのか」は分かりません。

ですが、仲間って表現を使った時点でどっちの真意があろう言葉的には「貨幣関係」ではなく「愛情・友情関係側の表現」だと言えます。

だから、その言葉をそのまま適用するなら本来的には「お金を介さない人間関係になる」というのがあるべき姿です。

言葉だけ見るなら、求めているものはプライスレスな友情だからです。

ですが、実際にはそこに対して少なくない金額を参加者が支払っているケースが多々あります。

オンラインサロンだと月額数千円程度でしょうが、ガチのビジネスコミュニティになると10万円や30万円、50万円という値段が多いでしょうか。

つまり、どれだけ大義名分が「仲間」であってもお金のやり取りが発生しているならその時点で「貨幣関係」になってしまうということです。

この時点で参加した人にはどうしても「お客意識」が芽生えるし、お金を払ってもらう以上は販売側も「お客さんへの接客」をする意識がないとダメだと僕は考えます。

僕自身も以前はコンサルっぽいことをしていた時期もあるんですが、スタンスとして純粋に「コンサルティングサービスを提供する」という貨幣関係的にやり取りをするのが基本だと考えてやっていました。

要は、お金払ってもらう以上お客であって仲間ではないということです。(雑談とかはしますが)

そこはドライに割り切っています。

逆に言うと僕がお客という立場で誰かの企画なりに参加するとしても友情関係ではなく貨幣関係をまずは望みます。

こっちは客なのでちゃんとサービスしてね、という当たり前の感覚です。

もちろん、コンサルし終わってからも仲良くて今でも長電話する人や何軒も飲み歩く人もいます。

でも、それはたまたま気が合ったからってだけなんですよね。

僕は基本、愛情や友情は狙って作れるものではなく「フィーリング」だと考えているからです。

だから、入り口がお金の関係であっても仲間になる場合もあるしならない場合もある、仲間になるかは最終的にはたまたまのご縁だということです。

このように見ると多くのメルマガが友情関係と貨幣関係がごっちゃになっています。

お客側がお金を支払った対価としてちゃんとしたコンサルを求めているのにやってる本人が仲間意識があってなぁなぁになってもそりゃ崩壊するわってことなんですよね。

逆にお客側が「仲間になりたい」と思っていても、気が合うかなんて実際に付き合った結果の話なのでお金を支払ってもらったとしても最初の時点で合うか合わないかなんてわかりません。

ぶっちゃけ、自分がコンサルする側としても「この人とは合わないな」ってケースは多々あります。

でもコンサルをちゃんとするのは別に仲間を作っているわけじゃなくお金をもらって契約している貨幣関係だからです。

また、よくありがちなのがえこひいきのトラブルです。

たまたま高額のプランで100万円自分に支払ってくれた人が「この人ちょっとな」って感じだとしましょう。

一方でたまたま10万円を自分に支払ってくれた人が「この人と仲良くしたい」っていう感じだった場合。

心理としては10万円の人を優遇したくなるし、実際に自分の裁量でそうしてしまいがちですがこういう場合もトラブルになり得ます。

安い値段を支払った人をより優遇しているわけですから、やるにしろこっそりやらないとダメですね。

このように、「仲間作ろう」的なネットのコミュニティは友情関係と貨幣関係がごっちゃになった結果、ズレが生じているので上手くいかないことが多々あるのです。

たとえ無料にしてもメルマガからはナチュラルな友情関係を狙って作ることはできない

もちろん、この辺は有料の企画を完全排除して無料にすれば多少は解決できるかもしれません。

お金を支払ってもらわないと直接的な販売者ー顧客という貨幣関係ではなくなりますからね。

ですが、この辺も注意が必要でメルマガなどを使うと選民する感じになって半分宗教みたいな繋がりになってしまいがちです。

というのが、不特定多数がメルマガを読めるようにすると変なレスとかも届くしクレーマーもくるのでどうしてもメルマガから人が脱落するようにせざるを得ないからです。

そうならないように自分の価値観に合う人だけくるようにして、価値観が合わない人は排除するようにメルマガを組み立てたりします。

ここまではまぁ良いのですが、宗教度合いが強いところになると読者の常識を破壊することをかなり意図した発信をするし、読者の価値観の書き換えもかなり意識した内容になってきます。

そうすることで、最初から自分の価値観に共感する人「だけ」が集まってくるようになるというメリットがあるからです。

ですが、これは同じような意見しか言わない、自分の発する言葉にYESとしか言わない人ばかりが生き残るというデメリットも同時に生まれるわけですね。

その上で、さらにメルマガでアクションしてくれた人だとか返信してくれた人だけをお茶会に招待するみたいな感じで人を選んで交友関係を作っていくわけです。

このように人を集めると一見すると自分と合う人が集まるように見えますが、油断するとただの宗教みたいな感じになります。

自分の価値観に合う人・絶対に自分を持ち上げてくれる人だけを集めているわけですからね。

もし、有料で高額にするなら教祖ー信者の関係になってしまいかねません。(自分がそう思ってなくても周囲からはそう見えるようになる)

そしてこういう人間関係は純粋な友情関係とは言えません。

なぜなら、自分がメルマガ読者を選別して選ぶ側・相手が選ばれる側で優劣がついてしまっているからです。

基本的に友情関係や愛情関係というのは、純粋に対等な関係からじゃないと生まれないと僕は感じています。

それを踏まえるとどこまでいってもメルマガから生まれる関係というのは「ナチュラルな友情とは違う」んですよね。

だから、僕はメルマガは仲間づくりが目的にはなり得ないと思うわけです。(自分の宗教の信者を集めるには良いけども)

たとえ、結果として友情が芽生えることがあってもそれはご縁で狙って作れるものではありません。

学生時代の友達と関係が疎遠になるとヤバいと思う理由

僕がネットビジネス系のメルマガ発信を読んで違和感を感じるのが「大学の頃の友達とは価値観が合わなくなって疎遠になる」「友達が減る」みたいな話です。

これも僕の経験から分からなくはないんですが、ちょっと選民思考に陥ってヤバい兆候じゃないかなと個人的には感じます。

僕自身の話をすると。

今でも大学時代の友達と家族ぐるみで旅行するくらい仲良いし、2人で海外旅行行くやつもいるし、つい最近も結婚式に出て飲み会にも参加したり関係が全く変わらず続いています。

2020年の夏はキャンプに行く話も出ていますね。

だから、価値観が合わなくなって疎遠みたいなことが今現在は一切ありません。

むしろ、みんなサラリーマンで価値観なんて違いまくりですが普通に飯食うし普通に仲良いです。

でも、メルマガをゴリゴリやってた時は確かに友達と距離が少し開いていたかもなと感じています。

これはおそらくはメルマガの欠点で選民思想が強化されるからじゃないかと思います。

さっきも書いたようにメルマガってそもそも、「自分に合う人だけが生き残る」みたいな特徴があります。

それはそれでメリットなんですが、似たような意見を持つ人ばかりが自分の周囲にできてくる上に持ち上げてもらえるので「自分は凄い」みたいに錯覚しがちなんですよ。

その結果、「自分は昔とは違う世界に生きているし昔の仲間とは価値観が合わない」みたいな感覚になったりするわけですね。

この手のネットビジネスにおける選民思想もトレンドみたいなのがあって、少し前は「稼いでいる金額で選民している人が多かった」印象でした。

つまり、稼いでいる人は偉い、だからチヤホヤされるみたいないかにもありがちなやつです。

これ、傍から見ると結構低レベルな関係に見えるかもしれないですが実際に自分が当事者になると周囲から持ち上げられて気持ち良いんですよね。

だから、その時は意外とそういうのを受け入れてしまいがちなんです。

が、そんな分かりやすい「稼いでいる人が偉い価値観」が最近は崩れてきている印象を受けます。

その代わりに出てきているのが、「優れた価値観を採用している人が偉い・そうじゃない人は偉くない」みたいな視点ですね。

これは多分、「稼いでいる人が偉い」に対するカウンター的な感じで出てきた潮流かなと思っています。

で、この手のタイプの人は、「価値観にはレベルがあって、レベルが高い価値観を採用している人だけが見える世界がある」みたいな感じで捉えているところがあります。

ステージだとかレベルみたいな話をしがちですね。

そんな人がしちなのが「お金ばかり追いかけてる人はレベルが低いよね」みたいな感じの価値観です。

それよりも、インテリジェンスやら教養、哲学みたいなそういうのが大事みたいな話をしがちです。

ただ、これはベクトルがお金なのか価値観なのかの違いだけで根本的には「選ばれた人が偉い」みたいな選民思想が根底にある点では同じです。

まぁこの手の選民思想は別にネットビジネスに特有のものなんかじゃなくどこでもあると思います。

実際、僕の母校(慶應)にも結構ありました。

一部の内部の慶應生は結構、外部と分断していて、育ちが良くてボランティアをしたり教養がないと真の慶應とは言えない、みたいな人が中にはいました。

イメージそれを彷彿とさせる感じの発信をしてるネットビジネス民もたまに見かけますね。

で、こういう選民思想はメルマガやコミュニティ運営とも相性が良いし、やればやるだけ強化されてしまいます。

だから、過去の友達とは違う世界にいる的な思考に陥ってしまうわけですね。(以前の僕のように)

でも、本来的な友達ってたまたま何かで気が合った人が友達であって、価値観が同じとは限らないのがむしろ普通だと思うんですよね。

価値観真逆だけどなぜか長い間一緒の時間過ごしてバカできるだとか、そういう偶然による産物だと思っています。

だから、大学時代の友達がいなくなるのは変な選民思想に陥ってヤバくなっている兆候じゃないの?と個人的に感じますね。

僕自身もメルマガやってた頃は多分勘違いしている時期はあったんだと思いますが、今でも学生時代らの友達と仲が良いままで良かったなって思いますね。

貨幣関係での良好な人間関係が意外とプライスレス

意外と僕がプライスレスだな~と思うのが貨幣関係での良好な人間関係です。

僕は結構一人で飲み歩くのが好きで地方都市とかに行きつけの店を作るのが趣味だったりします。

で、お酒の種類とか詳しかったり、純粋にアルコールで酔いたいのではなくてお酒の味を楽しみたい派なのもあって、飲食店の店主には気に入られることが多く、1軒仲良くなるとなぜか、芋づるで色々な飲食店の知り合いが増えていきます。

(その結果、今は肝臓の数値がアレなのですが、)

そういうところの店主との会話やらってとても楽しいんですよね。

基本的に話すのは飯の話、酒の話、スポーツの話が大半ですが、サッカー好きなのもあって、サッカーの話だけで何時間も話せるお店もあります。

こっちはお客として行っているわけで、飲食店の店主との関係は基本的に僕は友達とは言えないと思っています。

実際にお客ー店主の関係だし、LINEとかで話すこともないので定義するなら貨幣関係なはずなんですよね。

でも、普通に楽しい関係だと思っています。(これはたぶん店主にとっても)

こういう、貨幣関係なんだけど楽しくて時間を忘れる知り合いってプライスレスだと思うんですよね。

これはビジネス上も言えることで、例えばASPとかとの付き合いはASPへの売り上げ貢献が大前提の関係だと思いますが、普段はほとんどふざけた雑談で飲みにも行くし普通に楽しかったりします。

つまり、貨幣関係って赤の他人みたいなニュアンスがあるけど実際にはそうじゃなくて、「友達とは言えない、お金のやり取りがある関係だけど居心地がいい関係」を作ることが大事だと思います。

人間関係って大変な部分もあって、距離が近いとそれが理由で何か相手への期待が生じて上手くいかないなんてこともありますよね。

でも、貨幣関係で良好くらいの距離感だと案外一番長く良い関係築けるんじゃないかな?と感じることもありますね。

そういうところからも時間が経過することで友情や愛情が芽生えたりもするのかもです。

(余談ですが今付き合ってる彼女も最初は仕事の関係からでしたし)

まとめ

この記事ではお金と人間関係の距離について思うがままに書いてみました。

よくあるコミュニティが崩れる理由も大体これ読めばわかるんじゃないでしょうか?

個人的には、恋人や親とは毎日一緒にいても全くOKですが、友情関係とはしょっちゅう会いたいというよりはたまにで良いかなという感覚です。

それは自由が大事スタンスだからと思っています。

そして、よく最近は信頼さえあればそれを現金化できるみたいな論調があったり、コミュニティを作ればお金がなくても小さな経済圏が機能する、的なことを言う人もいますがこれもスタンス次第なのかなと思います。

お金って実は人間関係に距離を作ってくれるという貴重な機能を果たしているので、自由になりたい人はやはり必要なものだからです。

でも、自由を犠牲にして狭いコミュニティにおさまるなら確かにお金がなくても生きていける世界はもうそこにあるのかも?と思っています。

僕はそういう世界は息苦しいなと思うし、同じように感じる人も多いはずなのでおそらくは現金的な意味でのお金は今後も残り続けるのでしょう。

ぜひ、誰かしらの参考になればと思います。

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