どうも、なっぱです。
この記事では「洗脳されなくなるための考え方」について書いていきますね。
とはいっても、僕は必ずしも「洗脳=悪いもの」とは思っていません。
何故なら、人って生きている限り何かしらの価値観の影響を受けているし、何かの価値観を採用することで人生が良い方向に好転することも多々あるからです。
ただ、「知らないうちに害になる価値観を採用する=悪い方向に洗脳されている」ことで人生が悪い方向に向かうのは避けたいですよね。
だから、大事なのは「主体的に自分で価値観を選択できること」だったりします。
言い方変えると「どういう価値観に進んで洗脳されるのか、自分で選択する視点を持っておくこと」です。
そのための考え方について、もともと情報ビジネスをやっていた僕目線で解説します。
現時点では意味不明かもしれませんが、最後までぜひ読んでみてください。
Contents
世の中には2つの現実があることを知ってる?
洗脳されないために大事なのがこの世の中には大きく2つの現実があることを知ることが大事です。
それが以下の2つです。
- 客観的現実:地球は青いとか客観的な事実のこと
- 共同主観的現実:ある範囲で「みんなが」「同時に」「正しいと信じる」ことで機能する仮の現実のこと
客観的現実はそのままなので何の説明もいらないと思います。
これはだれが何を言おうと客観的に正しい現実です。
一方で、説明が必要なのが「共同主観的現実」のほうです。
これは、「みんなが」「同時に」「正しいと信じる」という3つの条件が揃ったら、その範囲で機能する仮の現実のことを意味します。
「本当は絶対的に正しくはないんだけど、一時的に(その範囲では)みんなが正しいと信じているから、今現在は正しいと思われている現実」みたいなことです。
例えば分かりやすい例で言うと「お金」。
お金って価値があるように見えますが実際には「ただの紙切れ」です。
でも、そんな紙切れがお金として機能するのは「みんなが」「同時に」「日本円で買い物できると信じているから」日本円が機能しているわけです。
もし、100年後に「みんなが同時にお金を信じなくなった」としたらこれが機能しなくなります。
だから、共同主観的現実というのは「客観的現実ではなく、たまたまその範囲で機能している仮の現実」だと言えるわけです。
世の中のほとんどの常識は「共同主観的現実」である
客観的現実って実は意外と少なくて世の中のほとんどの常識が共同主観的現実です。
「国家」もそうだし「宗教」もそうだし「思想」もそうだしあるいは「歴史」もそうです。
例えば、今、僕たちは日本人というアイデンティをもって生きていますが、そもそも「日本という国の存在をみんなが同時に信じているから」こそ日本人であると言えるわけです。
でも、もし3000年前に生まれていたとしたらその当時は日本という国がない代わりに、色々小さな集落みたいなのがたくさんあった時代なので「日本人というアイデンティ」を持つこと自体が無理なはずです。
となると、日本に紐づく大和魂みたいな価値観もなくなります。
「天皇を見ると何か尊敬したくなる」のもそれが「日本人みんなが」「同時に」「天皇は尊い存在だと信じているから」こそですが、3000年前だと天皇制度自体がまだないので、そういう価値観すらなくなるわけです。
このように、日本という国ですら客観的事実に見えるようで実際には共同主観的現実だったりします。
同じく「みんなが正しいと思っていること」はたいてい「客観的現実ではなく共同主観的現実」なんですよね。
教育とは「共同主観的現実を客観的現実だと錯覚させること」である
では、どうして「みんなが」「同時に」「お金が正しい」「自分は日本人である」と信じているかというと、それは子供の頃から教育をしてきたからです。
「お金を使えば物が買えるんだよ」と子供に教育をしているから、お金が常識になるし、「日本という国があって私たちは日本人である」と教育しているから自分自身が日本人であるというアイデンティティが生まれるようになるわけです。
このように、「教育」というのは「社会常識を植え付けること」によって「それを当たり前のもの」だと錯覚させる活動だと言えます。
そのために使われるのがストーリーであったり、古い時代だと神話や物語だったり、民間伝承だったり、今の時代だったら学校という教育制度だったり歴史教育だったりするわけです。
例えば、北朝鮮は「将軍様がいかに凄いのかの物語」が書かれた教科書が配布されるようですが、それは「将軍様のストーリーを使う」ことで北朝鮮という範囲で「将軍様は正しい」という価値観を植え付ける活動をしているわけですね。
そして、子供の頃から何度もそれを植え付けられると「共同主観的現実を客観的現実に錯覚」するようになります。
北朝鮮の話を外部から見ると「それ洗脳だよね」と言いたくなるはずですが、日本だって「いかに天皇が優れているのか」というテレビ番組がじゃんんじゃん流れるし、天皇は日本の象徴だと教育されています。
本質的にはこれらって同じなんですよ。
(なんで、歴史の教科書にどういうストーリーを書くのかが問題になるかというと、国民にどういう共同主観的現実を植え付けるのかは国にとって大事な問題になっているからです)
共同主観的現実を客観的現実に錯覚させることで人を動かすことができる
このように、教育によって共同主観的現実を客観的現実に錯覚するわけですが、なんでそんなことをするのかというとそれで人を動かすことができるからです。
「みんなが同時にそれを正しいと信じる」と世の指導者層は楽ですよね。
キリスト教の集団で「キリスト教なんて嘘だ」なんて言い出す人がいたら人をまとめることができません。
だから、子供の頃から何度も何度も聖書などのストーリーを通じて教育をして「いかにキリスト教が正しいのか」を植え付けるのです。
そうすることで、敬虔なクリスチャンが生まれます。
もし、自分が宗教の指導者だったら人を動かしやすくなるわけですね。
「幸せ」ですら客観的現実ではなくて共同主観的現実である
今の時代で最もみんなが信じている共同主観的現実は僕は「幸せ」だと思っています。
(一昔前は「お金」でしたがその後釜で「幸せ」を追いかける人が増えたイメージです)
世の中のほとんどの人が「幸せ教」という宗教を追いかけています。
でも実際には、「幸せ」とはあくまでも「みんなが」「同時に」「幸せという存在を信じているから」語られる概念なんですよね。
一方で客観的に見た「幸せの明確な形」はありません。
そもそも、動物って「自分が幸せなのかな?」なんて考えることはないので、幸せって人間が生み出した概念でしかないんですよね。
もちろん、近年は脳内のホルモンなどについても科学の研究が進展してきたので、「オキシトシンやセロトニン、ドーパミンなどの脳内物質が出ている状態こそが幸せだ」と定義できるかもしれません。
ですが、それは無理に科学的に定義しただけの話であって幸せという言葉や概念自体は脳内ホルモンなどが発見される遥か前から使われてきたし、それを信じていた人がたくさんいたはずなんですよね。
だから、幸せというのは何かしらの価値観や思想とワンセットになっている共同主観的現実だと言えます。
なので、今の時代でもお金がベクトルになればお金持ちが幸せという価値観になるし、愛がベクトルになれば愛がある生活が幸せという価値観になっていて、人それぞれ目指す幸せの形が違うわけです。
逆に言うと、様々な宗教だったり、思想のゴールに幸せという概念があって、その概念を追いかけることで人は洗脳されてきた、と言えるかもしれません。
資本主義に洗脳されている人はお金持ちになるのが幸せと思っているし、仏教に洗脳されている人は悟ることこそが幸せだと思っているみたいなイメージです。
だから、洗脳されていない状態というのは「幸せという概念自体を意識しない生活」だと言えるんですよね。
逆に言うと「私は幸せ」だとか言ってしまうと、どこかで「不幸せになるリスク」を常に持つことになるし、幸せ教に洗脳された人生になっているということです。
幸せを追い求める時点で(今の幸せ教が流行っている時代においては)洗脳されやすい状態になるということです。
(そんな中であえて幸せになりたいなら、脳内のオキシトシンやセロトニン、ドーパミンなどがバランスを保って調和している状態を目指すのが良いんじゃないかと個人的には思います
恋人や家族との時間を大切にする、自分なりの目標を持ち目標達成を目指す、その際に人と比較をしない、太陽を浴びて自然と触れ合う、これだけ意識すればOKです)
共同主観的現実は時にその集団全員が間違えた考えを持ってしまうことがある
共同主観的現実の危ういところは、その集団が「その価値観が絶対に正しい」と信じてしまうと時に間違えたことが常識化してしまうことがあるということです。
例えば中世の時代なんて、「地球は丸くなくて水平だ」って全員が信じていたので、船でずーっと大西洋を進んでいくといつかは宇宙に船が落ちるなんて思われていたそうです。
どうしてそれをみんなが信じていたかというと、これも権威者がそういう風に教育していたからです。
これもある種の共同主観的現実だったわけですが、科学が進展したことによって「地球が丸い」という客観的現実が生まれてみんなの信念が覆されたわけですね。
今の時代は個人が勝手に「共同主観的現実を作れる時代」になった
これまでの時代は「教育できる特権がある」のは国家だとか宗教指導者だとか大きな集団に属するトップ層しかいませんでした。
もしくはテレビでCMやドラマなどを流せる大企業でしょうか。
だから、みんな横並びで同じような価値観で生きてきたし、それが国にとっても企業にとっても宗教指導者にとっても都合が良かったわけです。
教育によって自分の価値観を信じてくれるから。
ですが、今の時代はテクノロジーの発展でネットを使って各人が好き勝手に情報発信を出来るようになりました。
そして、その情報発信においては「正しいこと」よりも「耳障りが良いコト」や「共感できること」のほうが信じてもらえる傾向があります。
さらには、ひたすら共感してもらって、ファンになってもらって「この人が言うことは絶対に正しいに違いない」と思われてしまうと何を言っても信じてしまえる傾向があります。
それによって何が起きているかというとあちこちに「独自の価値観を布教する教祖的存在とその価値観を信じる小集団が無数にできた」んですよ。
例えば、子宮系と呼ばれる子宮を敬うスピ系の集団がいるようです。
外部から見ると「意味不明」だと思うかもしれませんが、当人たちは「みんなが」「同時に」「子宮を敬うと幸せになれる」みたいなことを信じています。
だから、その範囲ではそれが常識だと錯覚されているし、外部から「子宮系って変だよね」といったところで本人を説得することはできません。
それは、僕たちが「あなたは日本人じゃないですよ」と言われるのと同じようなものだからです。
んで、別に本人たちがそれで幸せだと感じているなら別にそれでいいんですよね。(また、将来的にこれが客観的に正しいと証明される可能性ももちろんありますしね)
ただ、そういう集団のトップみたいな存在になればまるでお布施をもらうかのようにお金も信頼も集まってしまう、というのが個人が自由自在に共同主観的現実を作れる時代の特徴です。
DRMのメルマガやステップメールは個人で教育する代表的な手法である
このような状況を個人で作り出すのに最も適した手法がDRMと呼ばれるビジネスモデルであり、そこで使われるステップメールです。
多分、知っている人は知っていると思いますが、ステップメールというのは、メルマガで7通くらいに分けて読者に価値観教育を施す方法になっています。
まずはSNSやブログなどでなるべく共感してもらうような記事を書いてある程度自分のことを好きな状態の読者を作ります。
その上で、メルマガへ誘導して大体、1通目で共感されるような自己紹介を書きながら「読者の理想の未来=自分の現在」みたいな植え付けをし、2通目、3通目で「読者の常識をぶっ壊す」内容を送信して、4通目~7通目あたりでお金の教育などを施して価値観を変えていきます。
その際には色々な方法が使われます。
- 権威性を出して信じさせる
- 科学的根拠を出して信じさせる
- 恐怖を使って感情を動かす
- 理想の未来を出して感情を動かす
- ストーリーを使って「説得感がない」のに気付けば説得された状態を作る
- 「ステージ」「レベル」など「いかにも正しそうに見える理論」を作り出して読者に気付かれないうちに説得する
などなどテクニックはたくさんありますが、いずれにせよ、目的は読者の価値観を変えることです。
それで、価値観が変わったタイミングでオファーをかけるんです。
このような手法を使うことで、読者の価値観を変えたり、或いは何かしらの商品を販売したりすることを目的にしています。
また、既に価値観が変わった人たちを集めてコミュニティを作ってしまうと一気にみんなの価値観を固めることができます。
例えば、半信半疑で信じている何かがあるとして、まだ半分疑っているとします。
でも、そんな自分が100人の信者がいる世界に入るとみんなそれを常識のように話すので信じるしかないわけですよね。
このように、コミュニティを作ることでそのコミュニティの範囲内の共通言語(共同主観的現実)が出来上がっていきます。
そうすることで、外部から見たら意味不明な価値観を持った集団を作り出すことすらできるんです。
実際、僕の友達の一人もネットビジネス民ばかりが集まって住んでいる街に引っ越したんですが、その街では本当にみんなが「そのコミュニティの主が作り出した共同主観的現実を心の底から信じていた」と言っていました。
(その友達はそこに合わなくて抜け出したようですが、人によっては居心地が良いようです)
このように、昔は「人の価値観を変える方法」は誰も知らなかったのが、今現在はそういう方法がある程度世の中に知れ渡ってきています。
その結果、プチ有名人みたいな人とその人の信者が大量発生しているわけですね。
そんなわけで、情報発信をする人が増えてきたということになっています。
今の時代はまだ「お金を稼ぐ方法」の情報発信が多いですが、さっきも書いた通り「幸せ教が流行っている今の時代」なので今後は「幸せになる方法」の情報発信がより流行っていくと思います。
(ちなみに、僕は必ずしもメルマガやステップメールのアンチなどではありません。
僕自身も恋愛のステップメールを手伝って書いたりしていますし、正しく使うと世の中に良いものを広げることができると感じています)
洗脳されないための考え方のまとめと最後に言いたいこと
洗脳されないようにするには、まず「客観的現実」と「共同主観的現実」を区別して考えることが大事です。
生物学や脳科学などの自然科学の分野であればある程度「客観的な正しさ」はありますが、宗教や価値観、思想、哲学などの社会科学の分野については「客観的正しさというよりは共同主観的な正しさ」で成り立っているのがこの世の中です。
ただし、最初にも書いたように必ずしも「洗脳が悪いもの」ではありません。
そもそも客観的な正しさだけだと人って生きがいを感じにくいし、心のよりどころがなくなってしまいます。
例えば、宗教にもちゃんと役割があって「自分よりも大きな何かを信じる」ことで毎日自分の生き方に軸を持てることだと僕は思います。
だから、実際には「何も信じないよりも何かを信じる」ほうが人生的にはプラスになるんですよね。
以上の点を踏まえて、「知らないうちに望まない価値観の影響を受ける」のではなく「主体的に自分の軸になる価値観に洗脳されていく」と良いですね。
別にお金教の価値観を信じてお金稼ぎを頑張って世の中に色々価値提供するならそれはそれで良いし、仏教を信じて悟りを開くみたいな方向でも良いと思います。
ただ、いちいち他人の情報に踊らされるんじゃなくて、「価値観は採用するもの」という観点で常に価値観の主導権を自分が持つようにしておくことが大事です。
その目線で色々な人の情報を見ていくと、より主体的に自分の価値観を選べるようになるはずですよ。
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