無駄なコトをするために無駄を省くという生き方と働き方で3倍は幸せになれた話

こんにちは、なっぱです。

 

以前、まだ独立して間もない時期の余裕がなかった頃の僕は

いつも効率とか最短距離とかばかり考えていました。

 

フリーランスとして仕事の売上が上がりはじめて楽しかったですが

仕事のためにあらゆるものを犠牲にしていました。

 

まず、ゆっくりする時間を削りました。

 

のんびりするなんて時間がもったいない。

だからのんびりしてはいけないと考えて無駄を省いたのです。

 

しかし、それでも全然時間が足りなかったので、

友達との時間を削り、趣味の時間を削り、

自分らしく生きる時間を削り

仕事以外は全て無駄なものとして削っていきました。

 

結果的に仕事に集中できて売上は加速的に上がりました。

 

そんな僕でしたが、ある時に

「本当にボーっとする時間は

無駄な時間なんだろうか」

と考えるようになりました。

 

売上が上がるほどには

幸福度は高くならなかったからです。

 

売上を上げる事や仕事を拡大する事が

いつの間にか目的になっていて、

肝心の「自分らしさ」を置いていないのか?と。

 

むしろ、

「その無駄」のなかにこそ自分らしさがあるのではないか?

と考えるようになったのです。

 

実際、振り返ってみると

僕が「あ~幸せ」と心の底から人生で感じていた時というのは

大体が何もしていない時間に起こるものだったのです。

 

・カフェでボーっとしている時(+カフェミュージック)

・公園でボーっとしている時(+まったりミュージック)

・綺麗な海の景色をみてボーっとしている時(+サーフ系ミュージック)

 

僕の場合は、ボーっとする時間のなかの

ふとした一瞬に心の奥から生きている喜びのような

幸せの瞬間がこみ上げてくることが多々あって、

その瞬間を楽しみに生きているくらい好きな時間だったのです。

 

その一見「無駄」だけど自分の幸福に

深く関わっている時間を増やしたくて頑張っていたのに

いつの間にか真っ先にその「無駄」な時間を削っていたのです。

 

その事に気付いた僕はむしろ、効率とか最短距離を考えすぎずに

自分らしく生きるためであれば「寄り道をする」

「敢えて何もしない」「敢えて遠回りをする」

という無駄を楽しむ精神を今はとても大事にするようになりました。

 

無駄の中からこみ上げてくる

人生の喜びがあるからです。

 

そして、そのためには逆説的ですが

「無駄なコトを削る」必要があるのです。

 

本当に自分にとって意味がないコト、

つまり「自分の人生にとって価値がない真の無駄なコト」を

きちんと削る事。

 

例えば、必要以上に利益や売上を追い求め過ぎる事は

僕にとっては無駄なコトになります。

 

それによって「自分らしく生きる事」が

必ず損なわれるからです。

 

ただ、それはダラダラ仕事すれば良いとか

売上を上げる必要がないとかそういう意味ではありません。

 

いかにして自分がやる必要がない作業を

徹底的に削って仕組化や外注化などをしていくか。

その上でしっかり必要な分の利益を上げるか。

 

これも無駄を削るという事です。

 

その削った時間で無駄なコトをしているのです。

 

このように、今、僕は「無駄なコトをする」ために

「別の無駄なコトを削る」事をしています。

 

その結果、人生がグングン豊かになっていると感じます。

 

そして自分感覚で3倍は幸福になれたなと思っています。

 

そして、実は無駄なことをすると

これから経済的に逆に稼げるようになる時代が

やってくるのではないか?と思っています。

 

コチラの記事にもその辺は書いているので

ぜひ、読んでみてください。

堀江貴文・落合陽一の10年後の仕事図鑑を読んでこれからの時代の遊び方・働き方を考察してみた

 

「無駄なコト」は別の言い方をすると

「無目的的なコト」と僕は表現しています。

 

このスピードが速い世の中で生きていると

常に目的に沿った行動を取りたがるものですが

実は幸福は目的の上には必ずしも存在しないのです。

 

ボーっとしている時にこみあげてくる

生きている喜びというのは無目的的な幸福です。

 

真の意味で幸福になるためには目的的な部分と

無目的的に生きる時間のバランスが大事になると僕は感じています。

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